日本近代史において、先駆的エコロジストは誰だろうと長い間考えてきた。そしてついに、南方熊楠(みなかた・くまぐす)の名につき当たった。
今月中旬、熊楠が後半生を過ごした和歌山県の那智周辺や田辺市を訪れ、ゆかりの場所を歩いてみた。熊楠は、明治の前年に生まれ、大正、昭和を生きた。
幼少の頃から神童とうたわれ、驚異的な記憶力があった。10歳の時、知人の家で百科事典を読んでそらんじ、自宅に帰って正確に転写した。全150巻を5年間で写し終えたが、米粒より小さな字で埋められたノートが今でも残っている。
転写の習癖は生涯続き、旧熊楠邸の書庫には、和漢洋の学術書や文学作品、仏教経典まで写した冊子が山のように眠っている。この修行に近い勉学によって、博覧強記の怪物となった。
若くして渡米し、南米の一部を回り、最終的には、当時生物学と民俗学のメッカだったロンドンに落ち着いた。まだ日本の学界が幼稚なレベルにあった頃、独学の熊楠は世界一流の学者たちを相手に、丁丁発止の華やかな論戦を展開した。
14年間の外国滞在から帰国してからは、那智の森に3年間入り浸った。膨大な数の粘菌や隠花植物などを採集し、顕微鏡をのぞいて研究した。微細なものを観察しながら、生命の不思議に迫った。森羅万象がすべて因果律で動き、たがいに関連し合いながら存在していることを確信した。
その後は田辺市に移り住んだが、官学が支配する学界には目をくれず、ジャンルを超えた学説や独特の思想を発表し続けた。
熊楠には、政治志向など微塵(みじん)もない。それでも、一つの政策に関しては、明確な政治的態度を表明し、行動した。このテーマは、現代とぴったり重なり合う。
明治政府は、近代化のために、中央集権型行政システムを作る必要があった。幕藩体制下で呼吸していた無数の自治共同体が非効率だとして、強引な町村合併を進めた。
さらには、宗教の国家統制にも乗り出した。各地域ごとにあった小さな神社を廃し、まとめて広域に一社を作れという神社合祀(ごうし)令を発した。しかも巨木である御神木を切り倒した。それに乗じて材木業者たちが、周辺の巨木を次々と伐採。熊楠は強権的な町村合併にも反対したが、何より森を消滅させかねない合祀令に怒り、撤廃運動を始めた。自分の研究のためだけではなく、大義のためだった。
森を喪失することは、生態系の破壊であり、国土が荒廃すると警告した。木々がなければ洪水が頻発し、田畑が流れ、人々の生活が脅かされる。自分たちの神社がなければ、共同体の文化が消え、地域が自立心を失うと主張した。孤独な闘いは、12年後の合祀令廃止まで続いた。
しかし、100年後の現在、再び市町村合併が強行されている。「地方分権」を隠れみのにした中央集権化でしかない。ダムや大規模林道など公共事業による森林破壊も続いている。
(2005年4月30日「朝日新聞」別冊【be】「読み解く」より)