20年前、取材で初めてフィリピン各地を旅した。最初に訪れたのは、マニラ郊外の巨大なゴミ捨て場だった。あちこちから有毒ガスが立ち上るので「スモーキーマウンテン」と呼ばれている。周辺のスラムから子供たちがやってきて、生ゴミをあさって食べていた。子供たちは裸足で、皮膚はデキモノだらけだった。
日本から巨額の援助資金が渡っているのに、この子たちは靴もはけないのかと怒りを覚えた。一方で、当時のマルコス大統領夫人は、マラカニアン宮殿内に靴部屋を作り、3000足の高級シューズを陳列して悦に入っていた。
吐き気を催すようなこの強欲を支えていたのは、日本政府だった。
政府の途上国援助(ODA)という名目で海外に出ていく税金や財政投融資金は、日本の特定の企業グループや政治家に還流されるシステムになっていた。話をまとめるために、事業費の10%がマルコス夫人に賄賂(わいろ)として贈られた。夫人のあだ名が、「テンパーセント・マダム」だった意味がようやく分かった。
それだけではない。日本の援助で作った数百キロに及ぶ日比友好道路にはとんでもないカラクリがあった。途中で道が途切れるなど、計画自体がずさんだった。しかも実際の工事は、道幅が数十センチ狭く作られ、その分のコンクリート代や工事費がどこかへ消えていた。
これが、フィリピンだけではないことを後に知った。次に取材したインドネシアでも、スハルト大統領夫人は「テンパーセント・マダム」と呼ばれていた。
現在はどうだろう。
私が会長を務めた議員連盟「公共事業チェック議員の会」には、ムダな公共事業に反対する陳情が、日本全国から殺到した。
それだけでも手に余るのに、外国からの陳情も寄せられるようになった。大きなものだけでも、サムットプラカン汚水処理場(タイ)、サンロケダム(フィリピン)、ソンドゥ・ミリウダム(ケニア)、コトパンジャンダム(インドネシア)などがある。これらは、日本の調査会社が考案し、商社が仲立ちし、ゼネコンがからみ、政治家が財務省系の国際協力銀行に働きかけて予算が下りる。
大型ダムなどのケースでは、環境破壊はもちろんのこと、住民への強制的な立ち退き問題もある。その土地特有の農業や漁業、手工業などで暮らしていた住民が難民化してしまう。
また、契約した移住地確保も実行されず、立ち退き料もごまかされる。現地の政府高官の汚職疑惑もあとをたたない。こうした現実に対して、日本政府は責任を取ろうとしない。
コトパンジャンダムの場合は、数十人の住民が来日し、ついに東京地裁に建設差し止めを提訴するという異常事態になった。
「金を出しているのに、なぜ反日だ」という疑問への答えの一つである。
(2005年6月4日「朝日新聞」別冊【be】「読み解く」より)