私が環境委員長を務めている日本ペンクラブは、福島原発事故に関し、「脱原発」を表明しました。数回のシンポジウムを開催し、40余名のライターに よる「いまこそ私は原発に反対します」平凡社(2012、3月)を出版しました。また、福島事故の本当の悲劇はこれから始まるという認識を持っています。 そこで、未来の東日本の姿は、同じレベル7で、事故後26年を経たチェルノブイリの現状にあると考え、有志による視察を行うことになりました。最大のテー マは、子どもたちの将来の苦境にどう対処すべきかであり、視察団の名称を「日本ペンクラブ——福島とチェルノブイリ被爆者の子どもたちの救援のための視察 団」としました。ペンクラブの会員であり、チェルノブイリを50回以上も訪ね、著書も多い広河隆一さんの指導で旅日程を組みました。浅田次郎会長を含め、 合計8名のライター集団は、4月17日に成田を出発、ウィーン経由でキエフ(ウクライナ)に到着。各地を回ったあと、4月23日に帰国しました。
訪問先は、キエフ市(放射線医学研究所、内分泌研究所、チェルノブイリ博物館、NPOチェルノブイリの子どもの生存、避難民の児童音楽団チェルボ ナ・カリーナ)チェルノブイリ市(廃村、原子炉石棺、死の町プリピヤチ市)放射能測定の中心だったオブルチ市衛生センター、高度汚染地区のナロジチ市(母 子とも深刻な病状にある2家族の家)などです。詳細は、視察団のメンバーが、各種の紙面に書いたり、各所で報告を行います。帰国記者会見は、4月25日に 行いました。
たくさんの現場を見ましたが、特に強く感じたことは、26年経った今でも、IAEAや政府の安全キャンペーンにも関わらず、汚染地区の危険な状態は変わらず、大人にも子どもにも、各種の重大な疾患が発症し続けているということです。
今、日本政府や自治体が進めている政策は、とんでもない方向違いではないかという疑問が湧いてきました。
2012/04/25