【第79回】公演6月21日(金)多摩市(東京都)

公演は、久しぶりに都市圏ー多摩地区で行われた。
ホールは、京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩2分にあるビルの8F。
2日前に、朝日の都内版に告知記事が載ったので、当日客も多く、補助席を一列増やす盛況となった。この地周辺に住む知人も、数人観劇に訪れた。
京都で時代劇(これも久しぶり)の撮影もやっており、行ったり来たりのスケジュールだが、体調維持に気をつけている。
夏の暑さには弱いので、七月は公演をお休み。秋に備える構えを取っている。


【第78回】公演 6月8日(土)盛岡市(岩手県)

 岩手県と言えば、花巻を舞台にした連続テレビドラマのロケで、一ヶ月ほど現地の旅館に滞在したことがある。樹木希林さんと夫婦役で、中村が時々帰宅する外国航路の船員、希林さんが地元の小学校のハリキリ校長を演じた。今となっては、遠い昔話になってしまった。
 盛岡や雫石、水沢などへも、講演や選挙運動などで何度か足を運んだことがある。
 今回の公演は、盛岡の食品業界で活躍する実業家の音頭で実現した。ほとんどの公演は、上演委員会スタイルで、反原発運動にかかわる地元の活動家などが中心で展開してきた。とは言え、環境問題に力を入れている個人の努力で実現するケースも何度かある。今回がその好例である。それにしても、300名以上の集客を目指すというのは大がかりだ。結果、360名以上が入ったのだからびっくりする。
 ほとんどの客が、普段は社会運動の周辺にはいない層で、若い世代もちらほら見受けられた。劇に対する反応は、これまでの公演と同質のもので、もっと情報が欲しいという観客の気迫がみなぎっていた。


【第77回】公演 6月2日(日)南会津町(福島県)

 南会津町は山岳に囲まれた盆地だが、隣接する只見や檜枝岐を含めた大ブナ林地帯でもある。古くから林業が盛んだったが、戦後の材木バブルで、億万長者の一群が生れ、花街も大いに賑ったという。
 一時は、日本中の大きな和太鼓の木枠も、ここのけやきで作られていた。現在の林業は見る影もない。中村の参院議員時代、20000本のブナ林を斬り倒して、林野庁系の独立法人の収入にくり入れようという工作があった。
 中村は自然林保護を主張し、この計画を白紙に戻した。その時の自然林保護活動家が、今回の公演のスタッフの一人だった。
 公演が行われたのは、「御蔵入(おくらいり)交流館」。「御蔵入」とは、幕府の天領という意味であり、この地が歴史的な意味合いを持っている証である。現地スタッフは、200名動員を祈っていたが、当日売りも増え、近い将来の上演参考にと、仙台、郡山、三春などからのプロデューサー達も加わり、結果230名の超入りとなった。スタッフは、「事件だ!事件だ!」と大喜びだった。


【第76回】公演 5月25日(土)名護市(沖縄県)

 名護は辺野古を抱える反基地運動の拠点である。
 議員時代には、2度ほど激励に訪れた。今回は立ち寄る時間がなかったが、この芝居の推進者たちの多くは、基地反対運動にかかわっている。
 さて、連続3回の公演で、観客の反応は、本土の公演で感じたものと全く同じだった。考えてみれば、戦争が始れば、真っ先に狙われるのは北陸や東北の原発立地か、米軍基地のある沖縄である。
 つまり、基地と原発は同質の危機を抱えているのである。
 最後の公演も、270人くらいの集客ができた。三日間とも同じような数字が並んだのは偶然だが、嬉しい驚きでもある。


【第75回】公演 5月24日(金)北谷(沖縄県)

 那覇を昼ごろ出発。北谷(ちゃたん)へ向かって北上。途中、宜野湾市にある民営の佐喜眞美術館に立ち寄る。
 沖縄出身の画家たちのコレクションで有名である。出身者ではないが、「沖縄」をテーマにした絵も数点。中でも丸木位里氏の「沖縄戦の図」は、壁一面を埋める大作で、迫力満点だった。
 建物の屋上には、西海岸を望む展望台がある。
 1945年4月、ナチスが敗北すると、米軍は日本を目指した。ある日、54万人の兵を載せた軍艦1600隻が、読谷村に連なる海岸にこつ然と現れ、水平線の景色は一変した。この日から沖縄の悲劇が始り、24万人が命を落とすことになる。米軍による占領状態は、今日まで変らず続く。この夜も観客はほぼ満杯。


【第74回】公演 5月23日(木)那覇市(沖縄県)

 前日の22日に那覇市に到着。夕方には、沖縄タイムズや琉球朝日放送のインタビューを受ける。その様子は、QAB朝日放送の動画で、今でも配信されている。その後、沖縄の知性を代表するジュンク堂で、小一時間のトークショーを行う。
 明けて、沖縄3日連続上演の初日。昼まで時間があったので、国際通りから、幾つかの商店街を散歩。沖縄には5、6回来ているが、今回は15年ぶり。風景にさしたる変化はなく、昔のできごとをなつかしく思い出した。
 今回の連続公演は、準備期間も短く、いわばドサクサまぎれの力技で決まったので、観客動員の結果が心配された。そんなスタッフの不安を吹き飛ばすかのように、270人の集客があり、ほぼ満員の盛況。
 公演後の飲み会には、出版界、社会活動、報道界などから錚々たるメンバーが20人ほど集合、議論の熱い花が咲いた。中村の隣席には、琉球大学名誉教授・矢ケ崎克馬氏が坐った。
 教授は、原発事故直後から福島で放射能を測定し、物理学の視点から、内部被曝の危険性を警告してきた。


【第73回】公演 5月17日(金)八代市(熊本県)

 近くには日奈久温泉があり、俳人・種田山頭火が泊ったという木賃宿が一軒、当時のまま保存されている。
 8年前、自作の2人芝居「山頭火物語」を、ここの大旅館の大広間で上演したことがある。この上演を推進してくれた人々が、今回の朗読劇上演運動の中心になっていただいた。八代市には、小規模の公共ホールがなく、小さいものでも500席のスケールだ。こうしたイベントでは、300人を集めるのも大変だという。今回は、フタを開けると400人の大盛況だった。新記録だという。
 またこの地は、国会議員時代に、球磨川や川辺川のダム問題で何度か視察しており、環境活動家たちとも顔なじみだ。今回は、なつかしい人々に会う機会にもなった。


【第72回】公演 5月11日(土)豊岡市(兵庫県)

 豊岡市へ陸路で行くと、とてつもなく時間がかかる。最短は空路だ。羽田から伊丹空港まで小一時間。そこから但馬空港まで35分だが、これが昔なつかしいプロペラ機。最後にセスナに乗ったのは、北京から北朝鮮に入った1987年だから、32年ぶりということになる。
 豊岡市は、環境都市として有名だ。農薬で生物が死に、エサがなくなったコウノトリは、古来から住みついていたこの地を去った。
 10数年前から、市長を先頭に、無農薬、低農薬農業を実践し、今ではコウノトリパークができ、観光の目玉になっている。コウノトリ米はブランドになり、名産品になった。近くには、文豪たちが愛した城崎温泉が、レトロな街並を残している。
 公演は、女性リーダーたちががんばり、250の常設席を20席も上廻る大盛況だった。