新聞掲載
東京新聞
1月21日(火)朝刊
放送芸能欄/言いたい放談
「忘れられた皇軍」
東京新聞
1月21日(火)朝刊
放送芸能欄/言いたい放談
「忘れられた皇軍」
―鴉啼いてわたしも一人―
俳人 天才
雲水 酒乱
行乞は雲のゆくごとく、流れる
ようでなくてはならん。
木の葉の散るように、風の吹くように、
縁があればとどまり、縁がなければ去る。
そこまでの姿勢に到達せんにや、
行乞流転の意味がない。
作・朗読 中村敦夫
制 作 中村企画 演 出 窪島誠一郎
美 術 ヒグマ春夫 共 演 佐々木梅治
(第7回)
【第7回公演】
ー神保町ブックフェスティバル参加公演ー
11/ 2(土)午後7時~
11/ 3(日)午後7時~
会 場:岩波書店アネックスビル3F
岩波書店セミナールーム
(地下鉄「神保町駅」下車A6 出口。交差点そば)
入場券:3,000 円 予約制(当日清算)
★八代市公演
熊本県八代市の日奈久温泉には、山頭火が放浪の旅を始めた時に泊まったという木賃宿(織屋)が残っており、山頭火ツアーの名所になっています。ここでは、「九月は日奈久で山頭火」フェスティバルが毎年開催されています。
今年は14回目の祭りですが、メインイベントとして私の朗読劇が上演されました。
私が山頭火を演じ相手役の黒子は、劇団民芸の佐々木梅次さんが務めました。場所はこの温泉地で一番古い巨大な木造旅館「金波楼」でした。80畳の大広間に、180余人の観客が詰めかけ、大盛況となりました。
★次回公演は、山口県防府市
12月1日、山頭火の生まれ故郷である防府市で上演します。
舞台上演 13:30開始
場 所 アスピラート音楽ホール
(TEL:0835-26-5151)
チケット 舞台と映像作品「山頭火の生涯」のセット券:2,000円
私が環境委員長を務めている日本ペンクラブは、福島原発事故に関し、「脱原発」を表明しました。数回のシンポジウムを開催し、40余名のライターに よる「いまこそ私は原発に反対します」平凡社(2012、3月)を出版しました。また、福島事故の本当の悲劇はこれから始まるという認識を持っています。 そこで、未来の東日本の姿は、同じレベル7で、事故後26年を経たチェルノブイリの現状にあると考え、有志による視察を行うことになりました。最大のテー マは、子どもたちの将来の苦境にどう対処すべきかであり、視察団の名称を「日本ペンクラブ——福島とチェルノブイリ被爆者の子どもたちの救援のための視察 団」としました。ペンクラブの会員であり、チェルノブイリを50回以上も訪ね、著書も多い広河隆一さんの指導で旅日程を組みました。浅田次郎会長を含め、 合計8名のライター集団は、4月17日に成田を出発、ウィーン経由でキエフ(ウクライナ)に到着。各地を回ったあと、4月23日に帰国しました。
訪問先は、キエフ市(放射線医学研究所、内分泌研究所、チェルノブイリ博物館、NPOチェルノブイリの子どもの生存、避難民の児童音楽団チェルボ ナ・カリーナ)チェルノブイリ市(廃村、原子炉石棺、死の町プリピヤチ市)放射能測定の中心だったオブルチ市衛生センター、高度汚染地区のナロジチ市(母 子とも深刻な病状にある2家族の家)などです。詳細は、視察団のメンバーが、各種の紙面に書いたり、各所で報告を行います。帰国記者会見は、4月25日に 行いました。
たくさんの現場を見ましたが、特に強く感じたことは、26年経った今でも、IAEAや政府の安全キャンペーンにも関わらず、汚染地区の危険な状態は変わらず、大人にも子どもにも、各種の重大な疾患が発症し続けているということです。
今、日本政府や自治体が進めている政策は、とんでもない方向違いではないかという疑問が湧いてきました。
11/5、6日の2日間、中村敦夫・自作自演の朗読劇「鴉啼いてわたしも一人──山頭火物語」を上演しました。場所は、京王線又は井の頭線の明大前駅から 徒歩3分のキッドアイラック劇場。50人定員の小劇場ですが、2日間とも定員オーバーの盛況となりました。演出・窪島誠一郎氏、舞台装置・ひぐま春夫氏。 今回の成果を検討し、さらにバージョンアップで再上演を企画しています。
やっと常磐線が通じ、5月中旬、いわき市へ行きました。ここで小中学時代を過したので、先生や同級生の見舞いが目的でした。いわき市は、日本一広い地形ですが、私はその中心部の「平」に住んでいました。
地震で全壊、半壊したところはありますが、津波の被害は及んでいません。
しかし、海岸のある地区は、津波で全滅状態でした。
写真はその一つで、「豊間海岸」です。いわき市の行政機関は脳死状態で、対応能力がまったくないようです。深刻なのは、原発問題です。一部は30KM以内に入っている場所で、市内のホテルは東電関係者で満員です。ここから毎日、事故現場へ向かうようです。いわき市の30KM以上の地区には、何の指示もなく人々は窓を閉め切り、不安な日々を送っています。
原発が爆発した時は、大パニックになり、中心部の7万人口が2週間くらい消えたそうです。家が壊れた友人も、これから何が起きるかも分からないので、手の施しようがないと天を仰いでいます。
地震と原発の恐怖で、PTSDから脱けられない友人もいます。物理的人的被害を受けた人々も、もちろん大変ですが、中途半端な状況に放り出され、何もできないでいる人々も気の毒です。誰がこの責任をとるのでしょうか?
国民が徹底追及する意志を放棄すれば、第2、第3の原発事故が続くことは間違いありません。